活動

 笹川の史跡、伝統および民話などの発掘と整理を行い文化の継承と発展を目指します。

民話002より

観音岩と弁慶のなたいこ岩

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さゝ郷に縁結びスポットとも言える場所がある。
観音岩、弁慶のなたいこ岩(なたいことは、鉈を納めるケ-ス)、そして産土山(うぶすなやま:さゝ郷では、「おぼすがやま」と読んでいる。)である。
 撮影ポイントの関係で三体を一緒に撮影出来なかったが、左から弁慶のなたいこ岩、中央が産土山、右か観音岩である。縁結びに想いを馳せる人は是非一度尋ねて下さい。

観音岩
笹川の奥に三峯への分かれ道があるが、それより上流およそ1Kmはどのぼると視界がひろがり、右手にあたかも観音菩薩像の姿に似た大きな岩が立っている。通称観音岩と呼ばれている。 その観音宕の地上3mほどのところに岩棚があり、そこに二体の石仏が祀ってある。
60㎝と70㎝の大きさの11面観音菩薩像である。

 昔、石を出したとき石切り職人が掘ったともいわれているが、はっきりしない。
 大正9年、笹川発電所を作ったとき、水路取入れ口が、この観音岩の附近だったが、向う岸へ渡る橋がないので、観音岩と対岸の大きな岩と岩盤に穴をあけて吊り橋をかけた。

 当時の村総代折谷さんが、吊り橋の完成した翌朝、顔を洗っていると急に鼻血がふきだした。「村に何か変ったことがあったのでは……」と何か不吉な予感がした。
「そうだ、きのう出来上った吊り橋をみてこよう。」と息をはずませ山道をかけのぼった。きのう完成したばかりの立派な吊り橋が無残にも傾いていた。
よく見るとワイヤーをつないだ対岸の大きな岩が動いているではないか。村総代は、へなへなとその場に坐り込んだ。「どうして、あの大きな岩が動いたのだろう。そうだ、あの観音像の背中に穴をあけ、二本のタガネを打ち込んだたたりにちがいない。」

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村総代は一目散に村にかけおり、村人たちを集め、吊り橋が傾いたことを話した。そして、石仏の『たたり」 のことをつけくわえた。
 村人たちは一瞬、シェーンとした。やがて、だれともなく「石仏のたたりだ。」「吊り橋をとりはずそう。」「そうだ、そうだ。」という声がささやかれ、その場で取りこわしが決ったのである。

 昭和44年、この杉谷の水害で土砂くずれがあり、災害復旧工事の際に道路の改修も行った。
観音岩を半分ほど埋めて道路をまっすぐつけ便利にしようという案もでたが、やはり、吊り橋のたたりが恐ろしく、観音岩から2mほど離して道路をつけることになった。
 吊り橋をかけるときにあけられた穴には、草花が茂って石仏は何事もなかったかのように今も鎮座しておわす。

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弁慶のなたいこ岩
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