ささ郷 山菜

山菜はいつ頃から食すようになったのでしょうか?

 昨今では八百屋さんの店頭に野趣豊かな山菜が並べられることが多くなってきています。
でも、そのほとんどは栽培されたモノのようですが、野山に行き自分で採取すれば味もまた格別ではないでしょうか。

【宮崎村の歴史と生活】書によれば、
 天明3年(1783年)~4年が凶作であったため天明5年の端境期には、食料事情は深刻を極め、新川の村々においても山野草の根や実を採集して食料とした。
と書かれています
 また、天保の飢饉の時もだいたい同様であったが、天明の時の体険に鑑みて、食用にすべき草木に関する研究と対策がより進んでいた。天保八年正月、藩においては、伊勢の足代弘訓の著「おろかひ」のうちより、木の葉を食料にする方法を書いた部分を抜粋して、これを各村々に対して奨励した。と書かれています。

天明の飢饉の時にどんなモノを食したかと言うと

常食は、
ゆるこ、たいとう、麦、粟、稗、大角豆、小豆、芋、大根、よもぎ、つちこ、あざみ、うら白の葉

季節に応じ、
栃のみ、わらび、ぜんまい、ふき、よしな、うど、ひよふ、とらせ、ぎぼうし
どくだめ根、山芋の根、ところ根、いたどり、こぬり、肝豆、濃柿の皮、藤の葉、まゆみの葉

笹川で採れる山菜(例)

ぜんまいわらびこごみとらせ(とりあし)うどたらのめよしなふきのとうふきよもぎ乾しぜんまい(保存用)タケノコ孟宗竹 孟宗竹とタケノコの瓶詰め(保存用)