ささ郷 ほたる炭
笹川の炭焼き
笹川では昭和40年代初期(推測)まで、地区共有林で炭焼きが行われていました。共有林は約1,200町歩有り、それを40年で一廻り伐採し炭焼きをする計画でしたので、毎年、約30町歩を15~20人の炭焼き人を地区内、または近隣の地区から募集して請負の形で炭焼きを行っていました。
炭焼き人たちは春の訪れとともに山に入り、まず、炭焼きの材料になるブナ、ナラの木などを切り倒し炭焼きの材料を作りました。
左の写真は、南保富士頂上から少し下ったところに現在もある炭焼き窯の跡です。この形を見ますと炭焼き窯は、それぞれの山の傾斜などを利用して作られていたことが推測出来ます。
お盆ごろには炭焼きの初釜が始まり、山々のあちこちから炭焼きの煙がのぼり、まるで狼煙(のろし)のように見えました。
滑車による山からの炭おろし 馬車で村まで運搬
焼きあがった炭は人間が担いで降ろすか、または、炭焼き場所から鉄線を何段か張り巡らし、滑車に炭をぶら下げて道まで一気に降ろしていました。そこからは馬車で村まで運んでいました。
今は、炭焼きが行われていませんが、前述したとおり炭焼きが行われた山には、今でもその名残の炭焼き釜の跡が残っています。
また、当時は小木のうちに炭の材料として使われた木々は、今日では炭焼きが行われていないためブナ林などとなっていますが、山は生き物です。このように大木になった木々は根が腐り枯れたり、雪、風で倒れたりするモノが出始めています。
自然林は見た目には良くても、古い木々から若い新しい木々に再生させてこそ山が守れると思います。
そう言った意味から、過去の笹川の自然林は炭焼きで守られていたと言っても過言ではありません。