小屋開けのこの時期に、真っ先に顔みせてくれるシナノキンバイ。いつもの場所に、いつもの花。小屋が開けだだと、という実感コイワカガミのつぼみも膨らんでチングルマ、そっとつぼみを膨らませてミヤマキンポウゲのつぼみも、可愛らしいハクサンコザクラヤマハハコムシトリスミレクモマニガナオオツガザクライワハゼキヌガサソウコイワカガミミヤマダイモンジソウミガバショウ

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私の出身は、朝日町泊の清水町です。

 笹川に越してきたのは、2004年(平成16年)12月。神子沢さんのおばあちゃんが住んでおられた「宮平町内会」のこの場所に来てから、早いもので、もうすぐ丸7年になります。

 私は現在、朝日小屋という山小屋の管理人をしております。亡父の跡を継いでから、今年で11年目のシーズンを終えました。
 北アルプスの最北端・朝日岳(2418m)の朝日平に建つ朝日小屋には、小屋・テント泊を合わせて年間3000人前後の登山者の皆様が、県内外から訪れます。
 小屋の仕事は、登山者の食事や部屋のお世話、登山道の整備、山岳遭難事故防止や遭難救助など多岐にわたります。また私自身は、関係機関との連絡調整やアルバイトたちの世話などを含め、オフになっても各種の会合への出席や書類の提出など、一年を通じて何かしらの仕事をこなしております。

 山小屋管理人になってから、仕事関係の様々な荷物がどんどん増えていきました。またシーズン間近になると、小屋への荷揚げの物資が大量に所狭しと並び、仕事をするための「空間」がどうしても必要になってきました。
 加えて、シーズンオフの来客も、山岳警備隊やガイドさん、関係者や業者さんなど、遠方からも頻繁にあります。アルバイトのみんなが、入山前や下山時に気兼ねなく泊まれる場所も必要になってきました。
そんな諸々の事情で『「朝日小屋連絡所』を開設できる地を探していたところ、この笹川に素敵な居場所を見つけたのです。

 笹川へは、泊小学校から秋の写生会で毎年訪れました。もう40年以上前になりますが、当時は小丸山グランド横の古いトンネルを歩いてきたものですが、水溜りだらけの真っ暗なトンネルに怖い思いをしたのをよく覚えています。
今では、車に乗ればあっという間に泊市街にも出れるし、生活の不便は全く感じていません。
 幸いにも、泊中学校時代の同級生が村の中に何人もいて旅行やお楽しみ会に誘ってもらったり、近所の方が同級生の親御さんで何かの時には声を掛けてもらったりと、皆さんに可愛がってもらっています。
 宮平には、年齢の近いご近所の方たちで作る「美女会」という集まりがあり、そこにも参加させてもらっています。
 また仕事柄、一年の半分近くを留守にするという状況にあり、町内の仕事が出来ずに大変ご迷惑をお掛けしているにも関わらず、町内会や班の皆さんには良くして頂き、本当に感謝しております。

私は、この笹川の自然が大好きです。
 一斉に花が咲き出す春のころ、朝日小屋を閉めて下山した後の深まりゆく秋の様子。そして初雪が降るころには、杉の木立に雪がついた感じが、まるで村全体がクリスマスツリーに包まれているように思えて、本当に大好きです。
 近くの横尾から三峯までのふるさと歩道や、黒菱山や南保富士、どこを歩いても何度歩いてもその度に新しい発見にワクワクドキドキします。春先も晩秋も、そして新雪をラッセルする頃も良いですね。 私は、一人暮らしをしていますし、また仕事柄留守にすることが多く、地区の仕事が十分に出来ないことを心苦しく思っています。

 PTA活動に参加することもありません。6月から10月は山の上での仕事になり、ほとんど里には下りてきません。笹川では生活が細切れになっていますから、ごみ当番も一部免除してもらっていますし、町内の役員を引き受けることもできません。
 地区には貢献できていないのですが、これからも朝日小屋管理人の仕事を通じて、県内外の皆さんに笹川の魅力を発信していくことを心掛けていきたいと思います。

 笹川に住んで7年。ここには、この地ならではの文化や歴史が根強く残っていることを感じます。笹川に残る豊かな自然、文化と歴史、そして地区の皆さんの生活、それを守っていく努力、すべてが合わさって「笹川の魅力」となっているのではないでしょうか。
 一方私が越してきてから以降も、何人かの移住者があります。一部に法を犯した若者もあり地区に迷惑が掛かったかもしれません。しかし大半は、この笹川の自然と趣きが好きで、笹川の人情が好きで越してきたものばかりです。
 私も含め、出来ることなら、移住して来た者たちを温かい目で見守って頂き、末永くお付き合い願えたらと、思っています。

 初めて越してきた冬が明け、桜の花が咲きだした頃、4月の春祭りで見た「笹川の獅子舞」。長い冬を過ごしてようやく春が訪れた喜びを表わし、陽光の中で舞う素朴な獅子舞。この地で頑張ろう、そう思った7年前の春の一日でした。

微力ながら頑張っていきたいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。